思想、哲学、心理学

スキャンダルのたびに巻き起こる「正義論」の危険性 ~正義は快感を生む?

道徳とはなぜ存在するのでしょうか。なぜ人間は「正義」や「不正を罰する感情」を持つようになったのでしょうか。

歴史を振り返ると、正義を掲げることが必ずしも平和をもたらすわけではなく、正義の名のもとに暴力や対立が激化した事例が数多く見受けられます。

正義を振りかざすことで他者を排除し、自分たちこそが正しいと主張する動きに発展してしまう危険性があるからです。

また自分とは何の関係もない芸能人のスキャンダル(ゴシップ)に、多くの人々が熱狂するのは不思議な現象といえます。自身の生活に影響を与えないはずの出来事であるにもかかわらず、他人の不正や醜聞を見聞きすると、なぜ人々は声高に正義を主張するのでしょうか。

このような道徳(正義)の源泉には、人間が本来備えている「相互監視」のメカニズムが関係しているのかもしれません。

旧石器時代の狩猟採集社会を考察した文化人類学者や進化心理学者の研究によると、人類には「相互監視」によって秩序を保つ仕組みが生まれ、また同時に道徳的な感情を獲得してきた可能性があると言います。

進化生物学者のクリストファー・ボームは「自己家畜化」論を通じて、この謎を解明しようとしました。

今回の記事では旧石器時代のリーダー像や平等主義、そして「自己家畜化」論を参考として、道徳の起源を探っていきます。

また、人間が正義を掲げることの光と影、そして他人のスキャンダルに惹かれる理由についても考察していきます。

クリストファー・ボームの「自己家畜化」論とは

画像 : 狩猟イメージ

狩猟採集社会では、体格の優れた男性がリーダーとなる傾向がありましたが、リーダーであったとしても絶対的な権力を持つことはできませんでした。なぜなら集団の全員が武器を持っていたため、独裁的な振る舞いは集団からの反発を招く可能性があったためです。

そのため、伝統的な狩猟採集社会には予想以上の「平等主義」が根付いていたことが、多くのフィールドワークによって報告されています。

平等主義的な社会が狩猟採集民の間で定着していた事実から「人間は最初からリベラルな存在だった」と主張する人もいますが、進化論の観点からは「平等主義がなぜ進化の過程で優位に立ったのか」を具体的に説明する必要があります。

生物学的には「生存と生殖に有利な性質が淘汰されながら遺伝していく」とされており、もし人類が弱肉強食の世界で暮らしてきたのなら、暴力的な個体が生き残りやすかったはずだからです。

こうした疑問に答える仮説の一つとして、クリストファー・ボームが提唱する「自己家畜化」論が注目されています。

旧石器時代以降、リーダーは仲間を平等に扱わなければ反発を買い、集団(仲間)によって排除され、最悪のケースとして殺害されるリスクもありました。

そのため過度に暴力的・自己中心的な個体は共同体から排除され、結果的に生存競争では不利な立場に置かれる可能性が高くなってしまいます。こうした背景から、性格が穏やかで協調的な遺伝子を持つ個体が子孫を残しやすくなり、社会全体で「自己家畜化」が進んだと推定されるのです。

「相互監視」による秩序維持

旧石器時代の共同体では、一人ひとりが武器を所持している状況で、安定したヒエラルキーを築くには、徒党を組んで数的な優位を確保する戦略が不可欠でした。リーダーはもっとも大きな派閥から選ばれ、利害関係の異なる集団同士の協力を得るには、高度な政治的知能や言語能力が求められます。

また、噂話によるライバルの評価を落とす戦術や、仲間内の評判を操作する行動も、個人の地位を高めるうえで有効でした。

このような状況によって「相互監視」が自然発生的に発達したのでしょう。

他人の不正や暴力的行為を見つけて共有することで、ルール違反者を素早く処罰できる社会的な仕組みが出来上がったと考えられます。

「道徳の起源」としての相互監視

画像 : 石器時代イメージ 草の実堂作成

相互監視体制が整った共同体では、抜け駆けや利己的な行為を行うメンバーが自然とリストアップされます。

道徳の観点から見ると、仲間内での「不正」を見つけて罰する行為が社会全体の秩序を維持し、トラブルを未然に防ぐ効果を持っていました。

法律や裁判所が存在しない旧石器時代には、周囲の怒りや集団での制裁が即時に適用されるため、悪質な行為を抑止する強力な仕組みになったはずです。

このような制裁行動に対して、近年の脳科学の研究によれば、人間の脳は「ドーパミン」という快感物質を分泌するという知見があります。

セックスやギャンブル、薬物などと同じように、道徳的な不正を罰することで脳が快感を得られる仕組みが存在するのです。

「正義」は人間にとって最大の娯楽であり、また同時に集団の秩序を守るための原動力にもなっているのかもしれません。

人間社会を形成した道徳と相互監視

旧石器時代から現代に至るまで、人類は相互監視による秩序維持や、自己家畜化を通じて平等主義を育んできた可能性があります。

槍のような殺傷能力のある武器を誰もが所持している社会では、強権的なリーダーはいつでも暗殺される危険がありました。そのため人々と適切な関係を築き、仲間の協力を得て秩序を維持するには、道徳心と政治的な知性が不可欠でした。

さらに道徳や正義を実践することで得られる脳内の快感は、相互監視システムを効果的に機能させるエネルギーとなりました。人間にとって「相互監視」は、最小限の労力で不正を抑止し、平等な社会を構築するための巧みな戦略だったと考えられます。

道徳の起源は宗教的・哲学的な現象だけではなく、旧石器時代から続く進化論的な背景と深く関わっているかもしれません。

「自己家畜化」を通じて平等主義を発達させた人類は、今日の複雑な社会システムの基礎を築いてきたと考えることもできます。

相互監視と道徳心の働きを深く理解することは、人間社会の本質を解き明かす重要な手がかりとなるでしょう。

参考文献:
クリストファー・ボーム(2014)『モラルの起源:道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』(斉藤隆央 訳)白揚社
ユヴァル・ノア・ハラリ(2023)『サピエンス全史(上):文明の構造と人類の幸福』(柴田裕之 訳)河出書房新社

文 / 村上俊樹 校正 /草の実堂編集部

村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
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